Title: Photo Album
Year: 2025
Medium: Photo, Photo folder
Artist: Yoshiyuki Fujiwara
本作は、作者がこれまで制作した写真作品をすべてL版の写真紙に印刷し、一望できるように構成したものである。各作品は、作者自身が撮影した写真をもとに、画像編集ソフトを用いて加工・編集を施したものであり、それらを通じて視覚の特性や知覚のメカニズムを探る試みを行っている。 本シリーズでは、ぼかし、ブラー効果、解像度の低下、網点表現、ピクセルの伸長といった手法を用い、それぞれ異なる視覚的変容を生み出している。「Boke」では、特定の対象物を意図的にぼかすことで、不明瞭さがかえって対象の存在を強調する現象を探る。「Blur」は、建築物をモチーフに、視覚的な揺らぎを加えることで、日常的な風景を異なる文脈に置き換える。「Mossaic」では、解像度の低下により、視覚情報の抽象化がどのように認識を変化させるかを試み、「Halftone」は、鑑賞距離によって像が異なる表情を見せる仕組みを応用している。「Stretch」では、ピクセルの伸長を通じて、デジタル画像の構造そのものを可視化し、視覚の枠組みを再考させる。 本シリーズに共通するのは、視覚情報の明瞭さや解像度を操作することで、観者の認識のあり方を揺さぶる点にある。印象派の絵画やゲルハルト・リヒターの作品に見られるように、対象をあえて不鮮明にすることで、知覚の曖昧さや記憶との関係を浮かび上がらせる手法は、歴史的にも繰り返し用いられてきた。アンリ・マティスが、抽象化された花は時代を超えて花として認識されると述べたように、視覚の単純化や情報の欠落がむしろ普遍的なイメージの生成に寄与することがある。また、映像技術が発展する中で、高精細な記録映像よりも、低解像度の曖昧なイメージの方が信憑性を持つとされる場面があることからも、視覚的鮮明さと情報の信憑性は比例関係にないことがデジタル技術の進歩とともに浮き彫りになってきた。本作は、こうした視覚表象の特性を問い直し、人の知覚とイメージの関係性を探るものである。
©︎2025 STUDIO YUASA
Title: image RUNNER
Year: 2025
Medium: Print on paper, Video
Artist: Yoshiyuki Fujiwara
PC上で作成されたデータを複合機で印刷し、A4用紙に出力する。出力された紙を同じ複合機でスキャンし、「オリジナルの複製品」として再び出力する。この作業を任意の回数繰り返し、過剰な反復を行う。 本作品の制作過程において、オリジナルとして出力されたものが機械による正確な複製として大量に生まれるはずであるにもかかわらず、実際には毎回わずかに変化し、一度として完全に同一の複製が生まれないという状況が生じる。機械的なスキャンと複製の反復により、イメージの確実性が揺らぎ、情報の伝達と劣化の関係が可視化される。我々が機械に対して抱く「正確さ」とは、どこまで保証されたものなのだろうか。 かつて高松次郎らが参加したゼロックス社のコピー機普及プロジェクトでは、その複製技術の精度が強調されていた。しかし、数十年が経過し、保守点検すら受けられなくなったコピー機は、もはや正確性を失い存在意義そのものを失ってしまったのだろうか。あるいは、技術の劣化そのものに、新たな視覚表象や意味を生み出す契機となる可能性が残されているかもしれない。 本作に用いられた写真は、命綱なしで宇宙遊泳を行うブルース・マッカンドレス2世である。繰り返し複製されることで、像は徐々に変質し、最終的には青の色彩のみが際立つ。不思議なことに、それはユーリ・ガガーリンの言葉を想起させる──「地球は青かった」。しかし、ここで青として残ったものは本当に地球だったのだろうか。情報が複製され、変質する過程において、私たちは何を信じ、どこまでを「本物」と認識するのか。本作品はその問いを投げかける。